Sunday, November 27, 2016

ブログ14 痴人の愛

私は、「痴人の愛」という日本の小説を紹介したいと思います。
これは、有名な小説家である谷崎潤一郎によって書かれて、男の会社員が自信満々に貧乏な美少女を理想的な妻として育っていたところに、少女に彼の金と感情を使われて逆に体と心の両方を完全にコントロールされてしまったという話です。
登場人物は、川合譲治(かわいじょうじ)、ナオミ、他の男の人たちです。
では、始めます。

ある日、どう見ても普通と言える会社員の譲治が、カフェで外国人みたいな顔と名前を持っているただ15歳の少女ナオミと出会いました。女性と付き合った経験が一度もなかったのに結婚に対する夢があった彼は、その世の中を何も知らなくてお金もないナオミを自分のものとして、教育させて理想的な妻に育つことにしました。

それで、譲治はナオミを引き取り、二人で暮らすことになりました。ナオミはすぐ彼にもらった金と愛情でよくなった生活を楽しんで、彼もナオミの魅力に満足しました。

ところが、ナオミは頭も礼儀も悪くて、お金持ちの生き方を続けたいだけで譲治のことを本当に愛するわけではありませんでした。彼女は譲治の困ったところを見ずに大金を使ったり、譲治をだまして若い男の人と何人も付き合ったりしました。

さて、恥ずかしくて怒った譲治は、ナオミを家から追い出してしまいました。

すると、彼は出て行ったナオミを心配でいてもたってもいられなくなっていたので、彼女を忘れて健康的な生活をしようとしてもできなかったはずでした。

その時、ますます魅力的になったナオミは、「荷物を取る」を言い訳にして譲治の家に戻りました。自分が譲治に強い影響ができるということをちゃんと分かっていた彼女は、その魅力を使えて、譲治の理性を無くさせることができました。

とうとう、譲治は一切の現実的な考えを捨て、ナオミの言う通りにする「痴人」になりました。

おしまい。









Friday, November 18, 2016

ブログ13 2016年の冬休み

「月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也」
というのは、江戸時代の俳聖「松尾芭蕉」の名作「奥の細道」の始まりである。
読んだら、湧いてきた温かい気持ちはきっと
「旅こそが故郷」という共感を呼ばれたからじゃないか?

冬休み、これが何番目になるかもう数えたくない。
でも、家でただ、憂鬱な冬雲と黙り込むともなりたくない。
またどっかへ行かせられる。「どこでもよい!どこでもよい!」
と、ボードレールは叫ぶ。「深淵の底に身を投げることを、
地獄であろうと天国であろうと」
「おれたちはこの国に飽き飽きしているのだ、おお 死よ! 出航だ。
空と海が墨汁のように黒いとしても」
この目で確かめた真実の他に、この胸で感じた道の他に、
73億人の言葉で編まれた巨大な黒迷宮しか何も存在しない。
ジェードホワイトの雄弁の廃墟:アテナ
紺青発泡酒みたいなエーゲ海の上でちゅうちゅうと鳴く船客たちと
轟きながら少しずつ島の山脈を見せ始めたその鉄の扉
南欧を薫らす蜜柑の木。私が深く愛してるロルカのオリーブの森とギターの泣き
ベオグラードへの夜行列車(アガサの「オリエント急行殺人事件」)
または真夜中、ベニスの船首で立つとき、満月と涼風を浴びながら聞こえたあの歌:
「昨日は西域の黄土高原の隴山から死んだ兵士の白骨が送られてきたが
今宵は赤い提灯の帳の下で鴛鴦(おしどり)が寝ている
金の詰まった箱、銀の詰まった箱、
両方の鬢に白いものが混じるのを如何しよう
むちゃくちゃにおまえが歌い終われば私が登場し
他人の郷のことだと思っていたことが
実は自分の故郷のことだと認めざるを得ない
実に荒唐無稽だが、ぎりぎりのところまでいくと
他人のために嫁入り衣装を作っているのだ」

もし、余裕時間まだあったら、読書リストに残したものを読もう。
今学期は虚しいことをせずにじっくりと日本史や日本文学史を整理してきたんだ。
他人が気楽に歩き渡る平原は私のヒマラヤ。
来学期は詩歌に戻ることが堂々にできるはずだ。
孤独で読書するのはなんの役に立つのか。それは私の黒砂糖。
去年に書いた通り:

部屋はこんなに狭くても
無限に生長する狭さ自身が
時計、椅子、花を翳り
緩やかに窓外へはい出る

私は本の葡萄園で座り
翳りの爪と碁を打つ
枝もたわわに実る文の匂う陰に
戦局が曇られている

一滴の重い露が
意志の中央に掛ける糸に
凝結し、落ち、充ちて
星や碁石のような川筋になり
私はこの隅からページを漕いて
その隅へ



日本語にしてみたら大変おかしくなっちゃったんだ。
今の私はこれよりもっと上にできなくて、このままで置くしか仕方ないなあ。








Monday, November 14, 2016

ブログ12 蘇州評弾(そしゅ ひょうだん)

蘇州は、中国の長江の南岸地域を指す「江南」にある町です。
春秋時代の「呉」という重要な列國(-585 ~ -473)の都であって、今までの長い歴史に呉文化圏の中心として「評弾」や「園林」などの伝統的な呉風芸術を守ってきました。
「評弾」は典型的な呉風(繊細で柔らかい)曲芸だけど、春秋時代に現れたわけではありません。明朝(1368-1644)に始まった「評話」(男性が歴史上の人物を豪快に話す)または「弾詞」(女性が琵琶や三弦などの楽器に合わせてロマンスを歌うように語る)は、清朝(1644 - 1912)に一つになって、その後の民国時期(1912 - 1949)に何百人の名家も出て、今の中国でもテレビ、ラジオ、現場パフォーマンスなどで人気が集まります。形式は一人、二人、三人、グループなどありますが、最も普通に見られるのは男性と女性の二人です。テーマはたいてい歴史と愛情にして、一人が三弦、一人が琵琶を持って、優しく呉語で歌って語ります。観者の興味を引き出すため、笑いも時々使います。「話す」「笑い」「弾き歌う」の他に、「演じる」(手の振り、話してる人物の表情や声を真似る)も大切です。

例:(1)男が主役「月の下で泉を味わう」https://www.youtube.com/watch?v=0xFi9_-J4WE
(2)女が主役「紅楼夢」の一段 https://www.youtube.com/watch?v=jUwIzpiCINg




Monday, November 7, 2016

ブログ11 簡単に書いたものを三つ

「たくさんの雲が湧いていった」

たくさんの雲が湧いていった
灰色の瓦に
赤い小窓の前
「ティン」とぶつかった



「奇妙な能力」

脳は奇妙な能力がある
いやいや、ムッシュ・ポアロの「小さな灰色の脳細胞」ではない

いくつのつまらない神経信号を入力してみれば
出てくる雲、銀色の煙、音楽、と半枚のデージー




「二千十五年三月の晩に抱擁があった」

あなたのフォレストが夜中に開け放す
わたしは自分を一杯注ぎ入れる

あなたは聞かない、わたしも言わない
心臓が重なって、二つのゴショイチゴ




「ホームレス」

ホームレスは黄昏を迎え
彼すべての感情は
街灯のように一つずつともった